神社とお寺、どう違うの?なぜ日本人は両方に行くの?
日本を訪れた外国人旅行者の間では、こんな疑問を持つ人が少なくありません。
「初詣は神社でお参りするのに、葬式はお寺でやるのはなぜ?」
「神社とお寺ってどう違うの?日本人はどっちの宗教なの?」
こうした問いに対して、日本人の多くは「どっちも行きます」「特に宗教は意識していません」と答えることが多いようです。しかし、そこには日本独特の歴史と文化的な背景が存在しています。
神社とお寺はどう違うの?
ざっくり言えば、
- 神社:日本古来の信仰「神道」に基づく施設。鳥居、しめ縄、狛犬などが特徴。神様(カミ)をまつり、願いごとや感謝を伝える場所。
- お寺:6世紀に中国や朝鮮を経て伝わった「仏教」の施設。仏像、僧侶、お経などが特徴。死者の供養や法事も多く行われる。
このように、神社とお寺は起源も目的も異なる宗教施設です。
でも、日本人はどちらにも行く
初詣は神社、お葬式はお寺、結婚式は教会風…
日本では、場面に応じて自然に宗教的な習慣が使い分けられています。
それは外国人にとっては「矛盾している」「信仰があいまい」と感じられるかもしれません。けれども、多くの日本人にとってはごく自然なこととして受け止められています。
その理由のひとつが、「神仏習合(しんぶつしゅうごう)」と呼ばれる、長い歴史の中で育まれた宗教文化の在り方にあります。
昔は神様と仏様が一緒だった?
仏教が日本に伝来したのは6世紀のこと。最初こそ仏教は異質な宗教として扱われましたが、やがて「神様と仏様は敵ではなく、むしろ協力し合う存在」と考えられるようになります。
こうして生まれたのが「神仏習合」の「本地垂迹(ほんじすいじゃく)説」という考え方。
これは、「仏様が人々を救うために神様の姿をとってこの世に現れた」というものです。
つまり、神様は仏様の“現地代理人”のようなもの、というわけです。
よく考えると神道の神様は代理人扱いなので、仏教が上のような考え方。まさにその通りで、仏教が国家権力と結びつき、知識階級や権力者に支持される中で、在来の信仰(神道)を否定するのではなく、仏教の教義の枠内に組み込んで正統化しようとしたわけです。
神仏習合の具体例
こうした思想に基づいて、多くの神々が仏教の神と“同一視”されてきました。
たとえば――
仏教の弁天様は、神道の市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)と習合し、水や芸能、女性守護の神として信仰されました。
財福の神である大黒天は、大国主命(おおくにぬしのみこと)と結びつき、七福神の一柱として庶民に広まりました。
密教の最高仏である大日如来は、太陽神・天照大神(あまてらすおおみかみ)と重ねられました。
なんだかちょっと強引に結び付けてるような気もしますが、信仰で対立したり、一方を滅ぼすのではなく、あの神様とこの神様が似てるから、きっと同じだよねという単純さが面白いです。
信仰というより「生活習慣」としての宗教
このような歴史を経て、日本では「特定の宗教を信じるかどうか」よりも、「季節ごとの行事」「家族の儀式」など、生活の中に自然に根付いたかたちで宗教的行動が存在するようになりました。
そのため、多くの日本人は自分を「無宗教」と考えながらも、神社やお寺にごく自然に足を運びます。
祈ることは「信仰」というより、「感謝を伝える」「心を落ち着ける」といった、より日常的で文化的な意味合いが強いのです。
